なんでスリランカへ行こうと思ったのか思い出した。「ゆっくりだな」って思ったんだ。
通っていたアーユルヴェーダサロンのスタッフさんに、スリランカ人のアーユルヴェーダドクター👨⚕️から施術とスリランカ占星術をやってもらえる機会を紹介してもらった。
扉を開けたその部屋の空気はゆっくりだった。4月だったけど、春の木漏れ日が部屋いっぱいに溢れていて、部屋の輪郭を溶かすみたいに明るかった。机を挟んで腰かけると、ドクターが私に名前や何かを尋ねるその声もメモを取る手もまた、本当にゆっくり流れていった。
すべてがゆっくり流れる時間に、私はそれだけでもう癒されて、「本来、人間の動きってこのくらいゆっくりなのかもな…」と、きっともっと生活がシンプルだっただろう時代に想いを馳せた。
当時は仕事の真っ只中だったから、いつも忙しかった。いつも急いでいた。いつもイライラしていた。「ゆっくりする」という人間の当たり前の所作にハッとさせられるくらい、それを忘れ去っていた。
私はこの失っていた「ゆっくりさ」がほしくて、スリランカ行きを決めたのだった。
そして事実、この「ゆっくりさ」を得る決断は、自分の自然なリズムや温度を取り戻すのにとても大切な一歩だった。
スリランカではマジで暇だったのだけど、すると私は人に優しかった。いつも穏やかで笑えていたし、優しいねとかフレンドリーだねとか、みんなユキを好きになる、とか言われていた。これはもう諦めたのだけど、私は「優しい」らしい。そして、余裕があれば優しくできる(自然体のよさが現れる)なら、私は優しくありたい(自然体のよさを出していたい)し、だから余裕のある生活をしていたいなと思った。
逆に言うと、イジワルな人っていなくて、余裕のない人がいるだけだと、最近いつも思っている。
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