もう一生会わないだろうな、という出会いがある。飛行機で隣り合った人、ホテルで滞在が重なった人、登山の道なりで手を取り合った人。
だけど、それらの出会いが取るに足らないかというとそうではなく、それ以外の、多くの時間を重ねた関係と同じようにまた尊いものだと思う。そう思うようになったのは、やはり「愛」を知ったから。愛というのは、すべての目に見えるアイデンティティを取っ払った奧に残る原初の我ら。輪郭のないつながり。
私たちの存在のいちばん奥は、あなたもわたしも無い未分化の状態で、私たちは魂を分け合った仲間だと気づく。
それが腑に落ちたとき、会う人会う人を「魂の仲間だな」って思うようになった。笑
だから、例えもう会うことがないだろう人であっても、その時間を慈(いつく)しめるようになった。昔は「続く関係」に重きをおいて、エネルギーを割いていた。その場限りの関係は流すようだった。だけど思えば、この先また会うのであれ、そうで無いのであれ、「今」このときを過ごしている事実っていうのは、おんなじなんだよね。
そう思うと、すべての出会いと時間を慈しんで味わえるから楽しいし、「結局仲間」って思うと気がゆるんでオープンハートになれるから、出会う人とも仲良くなれるようになった。
この「一期一会」の再解釈ともう一つ、「シスターフッド」というような、(例え見知らぬ同士であっても)女同士の助け合いみたいなものもこの旅では感じた。
例えば飛行機で、窓際の席に手招きしてもらったりだとか、混みまくったバスで、触られないように気遣ってもらったりだとか、険しい山道で、自然と「助け要る?」って手を差し出したりだとか。ただ一瞬同じ場に居合わせただけの見知らぬ女同士の目配せ、気配り、なんだかそんな連携プレーを感じる旅だった。
表層で言ったら、女同士、女ゆえの困ることとか分かるから、ってとこだろうけど、感じたのは、もっと奥の連帯感。
世界中に味方がいるようで頼もしいし、私も女にエールを送ったり手を貸し合えたりする女でいたい。
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